追悼文



■文字文化研究所の前途

    「秋風秋雨、人をして愁殺せしむ」という。秋気を帯びて、ひとしきり夜の雨がふりつづいた。覚えず、胸を切り裂いて走る痛みがあった。痛みは、わずかに秋冷のゆえのみではない。
  十月三十日、深更、ひとりの偉大な人格が、その命を失った。とてつもなく巨大な存在の、それが終結であった。その身体、その姿は、すでに求められるべくもないが、しかし、先生のかつて発せられたことばは、なお私たちの心底に、脈動して巳まない。日ごとに、いよいよ高まり、いよいよ激しい。先生の身体は、たしかに、その終結をみたが、しかし、先生の精神は、終結しない。そのゆえに、哀しみは、かならずしも重く沈殿しない。
  過日、宇佐美専務理事が、先生を見舞われたとき、先生は、文字文化研究所の今後に託する深い思いを、信実に、語られたという。漢字普及が、この現在の精神的貧困を克服する上において、どれほど重要な意義をもつことか、先生は、そのことを私たちに示唆しているのであろう。示唆は、私たちを支え、私たちを包み、私たちを無限に鼓舞する。
  先生への追想は果てもなく広がってゆくばかりであるが、しかし、そこにのみさまよいつづけることは、かならずしも、先生の望まれることではないように思われる。むしろ、先生の、その遺志の向かう方向を明らかに定め、その方向に従って、私たちの歩みは進められてゆくのでなければならない。先生の探求された道すじに沿うて、その成就と成果の迹を、何よりも正しく語り伝えてゆくこと、それが私たちの責務であるとともに、使命であるとも思う。使命は、重い。しかし、前途は、澄明をきわめる。先生の学問が、その本質、その可能性において、ゆたかに機能し、展開してゆくものであることは、すでに疑いえないからである。
  
白川静先生
認定 特定非営利活動法人 文字文化研究所 理事長 上平 貢 (代 山本 史也)

■「いつも、心優しい人でした」― 白川静さんの思い出 ―

  新理事の就任の挨拶の文章で、白川静さんが亡くなったことを書かなければならない。こんな悲しいことはありません。
  通信社の記者という仕事は毎日、新しい人に会うのが仕事です。これまで約一万人ぐらいの人にお会いしてきました。取材でお会いして、お話を聞いているうちに、感銘を受け素敵な人だなあ″という気持ちが自分の中に満ちてくる場合があります。そういうことはごくごく稀になのですが、でもそんな体験が記者の醍醐味なのです。そうやって、最も感銘を受けた人が白川静さんでした。
  白川静さんは、どんな時にも優しくて、一生懸命でした。   私は、漢字の古代文字とそれを説明する漫画的なイラストを多用して、白川文字学の世界を紹介する「白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい」という新聞連載企画を実施するために、白川静さんにお会いしたのが最初です。
  毎回、白川静さんに直接取材して、体系的なつながりを持つ漢字について教えていただきました。この連載が評判となって、それが新聞掲載されると文字文化研究所に問い合わせの電話が殺到したと聞きました。
  その連載の単行本化を望む声も多く、連載を基にして、同名の本が白川静監修、文字文化研究所編、私の著という形で、勤務先の共同通信社から刊行されることが決まり、その本のゲラに手を入れるところでの白川静さんの死でした。白川静さんとは、今夏、この本のことで、問い合わせることがあり、電話でお話したのが最後になりました。
  敬愛する白川静さんの思い出はいくつもございますが、その中でも、最も心に残ることをここに記しておきたいと思います。
  白川静さんと原稿のやりとりをした記者や出版社の編集者なら、みな知っていることですが、白川静さんの所へファクスや手紙などをお送りすると驚くほどの早さで返事が返ってきます。原稿などをファクスを送れば、短い時間でもざっと見るだけでなく、間違いがあればちゃんと指摘されます。これは九十歳を超えての話です。
  さて、忘れられないことを書きましょう。私の連載でのことですが、ある時、原稿を書き上げて、自分の理解に間違いがないか、白川静さんに見てもらうため、ファクスをお送りして、その直後、白川静さんのお宅に電話を入れました。夜の七時ぐらいだったと記憶しています。
  何度も呼び出しの音がしましたが、いつもは電話に出られる白川静さんが、なかなかお出にならないので、電話を切ろうとした瞬間に、白川静さんがお出になりました。
  「白川さん、いつもの連載、ファクスでお送りしました」と私が言うと、「僕、ちょっと身体の具合が悪くて寝てたんよ」と白川静さんはおっしゃいました。
  「えっ。もうしわけございません。白川さん、お休みになってください」「うん、少し休んだら見るから」「いや、ちゃんと休んでください」
  そんなやりとりがあって、電話を切ろうとした時に「小山さん、急ぐんかね」と白川静さんはおっしゃいました。私があわてて、「いやいや、明日で十分、間に合います。ともかく、お休み下さい」と言うと、白川静さんが「うん、分かった」と言って、電話をお切りになりました。
  私は、連載の原稿の処理が明日以降になりことの手はずを整えて、その夜は勤務先のデスクを離れました。
  翌朝、会社に出勤すると、僕のデスクの上に白川静さんから返送されてきたファクスが置かれていました。驚いて、そのファクスの受信記録の時間を見ると、私が前夜、電話をかけた時間から、一時間も経っていませんでした。
  白川静さんはほんとうに「少し休んだ」だけで、すぐに私の原稿を読んで、チェックしてくださったのです。その時、一瞬、目頭が熱くなり、ファクスの文字が霞んで見えなくなったことをよく覚えています。(今、こうやって書いていても、また目頭が熱くなってきます)
  きっと、白川静さんは、前夜の私の電話のやりとりの言葉の中にどこか、急いでいる″ものを感じられて、夜、起きて、私の原稿を見てくださったのでしょう。この時、白川静さんは九十四歳でした。
  白川静さんは、ほんとうに、心優しい人でした。いつも一生懸命の人でした。私は、こんな人に会ったことがありません。
  白川静さんの御霊の安らかなることを心よりお祈り申し上げます。
  
理 事 小山 鉄郎 小山 鉄郎